口から出る言葉と、音があっているかどうか?昨日は、お経を読むお坊さんの声の話を聞きました。自分は申し訳ないのですが、両親が亡くなった時も、お坊さんのお経で救われているとは感じる事はできませんでしたね。一度だけ、親戚付きあいをしている方のお葬儀に行った時、お坊さんの声がいいことにビックリしました。葬儀会館の反響していた声でして。男性アルトの声だと感心しきりでした。あのお経の声ならもう一度聞きたいです。

自分の声はどうだろうかとも考えます。話すことが身体と同じ声なのでしょうか???。不自由は声の出し方になってはないかと、心と体と、声とひとつに生きる。毎日気が付き変えて行こう、それが人間。

今、毎朝、ケアに入っている高齢の人がいます。弁当の手配をしたのですが、どうもその弁当、義理の息子の方が食べている感じがします(笑)。だって本人の部屋のゴミ箱にスパーの弁当の空や、ベッドにの上にもスパーのゴミが散乱しています。まあ、どちらが食べても生きていたらいい・・・と笑っているケアマネ,兼看護師です。