宣言し、今日も仲間のお母さんの最後のお見送りに行こうと考えています。義理とか人情とかでなく、批判家になりたくないので、先ず傍に共にいることが一番と感じます。お葬儀ではいろいろなことがあります。小さなことでも、自分勝手は不愉快を通り越して、恨みまでにもなります。相手の事を思ってと、実は自分の事です。親切の押し売りはいりません。仲間の必死に対応している姿に、腹立てている自分を顧みます。小さい自分、人間としての在り方、学びです。

湯灌に子と参加しました。訪問入浴ですね。思わず手伝おうか・・・なんて。女性は綺麗がいいですね。高句麗衣装を纏(まとい)エンゼルメイクでお顔はふっくらです。何故だか口は一文字に見え、意志現るというお顔です。凛々しいお顔にびっくりです。仲間の旦那さんの御老親が、自分をどこの親戚の人かとずっと考えていて声をかけてくれました。ここでも身内に見えます(笑)。ファミリーですもの・・・。

お坊さんは呼ばず、高句麗衣装を身に纏い、仲間が高句麗伝説を・・・とDVDを上映です。高麗恵子さんの読まれる詩、魂・・・永遠・・・出会い、、愛・・という言葉がお坊さんのお経より、感動です。お通夜には高句麗伝説と心からの仲間たちが集い、最高のお通夜でした。お母さんの口元が弛んだのは皆が見ましたね。動く事が愛。