朝8時15分に黙祷をしました。毎年、子ども達の平和誓言に胸打たれます。随分前ですが、被ばくした人(入院していた人の奥さん)と懇意になり退院後も時々お会いしていました。ある時にご自身が女学校の時に被爆した、全員亡くなったのに私は生きているという、気持ちを一度だけ話してくれました。生き残った人の苦痛・・・、死んでも、生き残っても地獄なのです。誰にも言ったことはないと話していました。旦那さんや子どもにもです。お亡くなりになる前に会いたいといいましたが、会わない、こんな姿を見せたくないと断わられました。承諾しました。習字を趣味としていました。畳一畳ほどの大作でした。きっと何か生きて来たエネルギーをぶっつけていたのかもしれません。過去には、新潟でお会いした被ばくした人も背中にまだガラス片が無数に残っていた人です。父も原爆が落ちた次の日に広島に行ったと弟から聞きました。父は話さず亡くなりました。

子ども達の平和宣言の中の言葉に、自分の思いを言う前に相手の気持ちになって下さいという言葉がありました。正に、今の我々に向かって言っていただいたようです。人の痛みが分かれば、使わない言葉、人を傷つけることは自分が傷つきます。いのちは繋がっています。嫌な事を駄目、駄目と言うのも考えものです。何故その人はそういう言葉を使わないといけないのか、根本が分からないと人は変われません。未来が拓くはどうかです。