大分の田舎は、80歳の叔父曰く「滅亡集落。限界集落を超えている」とのこと。とにかく人がいません。来年の春に小学校は閉校ですって!空いた家ばかり、そうゆう自分の家も朽ちはてています。昔は家族が暮らした家。未練はありません。それぞれが、家族を持ち、生活をしています。動かない民族は滅びるとも聞きました。動き続けましょう・・・。

親戚の94歳の叔母はやや呆けています。74歳の叔母と行ったのですが、「あら、のりちゃん。」今どこにいるの?子は?と同じ質問繰り返しです。74歳の叔母を誰と?と尋ねると知らないと言います。回路が一時つながり、また混乱したような・・・。戦争で夫を亡くし、針仕事で子供3人育てました。お弟子さんのいる頃、私、いたずらしていました。弟子は76人いたとはっきり言います。そこは、自慢のところです。

田舎はリアス式海岸で、湾が入り組んでいるので、津波は来ないようです。過去の歴史にもないとの事。直ぐそこが、海です。山のへりに家がへばりついて、田んぼはなく、貧乏な田舎です。食べたい物は?と聞かれ、干し芋をもどし作った「ねり」という昔の食べ物を話すと、そんな高級品はないと大笑い・・・近所で干し芋もらい叔母が作ってくれました。ありがたい帰省です。叔母が元気でいるのでこのような贅沢ができます。74歳の叔母はグループホームでスタッフとして働いています。レクレーション担当と、認知症の方、家族の方に喜ばれている働きものです。私、血筋ですね。