自宅のある尼崎市での葬儀に参加しました。あゆさん(35歳、ミトコンドリア筋症で産まれた直後より人工呼吸器を付けて在宅生活を行って来た日本で初めての人)が亡くなったのはニュースで知りました。全国に流れていました。社会活動家という名がついていました。凄い方と知り合っていた事を実感します。あゆさんにはお世話になったのです。医療的ケアの実習や、看護学校の授業にも来ていただきました。

家におじゃますると、ヘルパーさん2人といつも3人でワイワイやっていました。明るく前向きで、この生きるエネルギーはなんだというくらいの人でした。幾度も危機を乗り越えていたので、不死身だと感じていましたが、年末からICUで闘病されていたようです。4歳の時に人工呼吸器をつけ在宅生活を始めています。それも普通の保育園へ行き普通の小学校、中学・・・旅行し、人と繋がり先駆者、でした。今、呼吸器を付けて生活している人はみんなあゆさんが道を創ってくれていたと葬儀会場で知りました。

葬儀ではなく、大弾幕には「平本歩、在宅生活30周年記念パーティー」とありました。以前からこの30年の記念パーティーを企画していたようです。涙あり、笑いありの葬儀いえパーティーでした。霊柩車が出る時あゆさんの口癖、全員で「ほな~」と手を振りました。呼吸器付けた仲間も、ヘルパーさんに手を出してもらい振って見送りました。またね・・・という言葉が印象的です。

介護を一手にしていたお父さんが20歳の時亡くなりそれからヘルパーさんとの在宅生活でした。凄いのはヘルパーさんと対等に言い合うのです。ヘルパーも負けていません。お父さんが亡くなり我がままが減ったとヘルパーさんが言いました。我慢が出来るようになったとのことです。9事業のヘルパー管理を自分でしていました。コミュニケーション手段は良く動く「舌」です。ヘルパーさん達の能力の高さも凄かったです。人工呼吸器、胃ろう、吸引と全て引き受け大きなトラブルなく生活していました。全部あゆさんが実績としてやってきたことです。往診医の先生もいらっしゃり、先生があゆさんにいつも高村光太郎の詩「僕の前にには道はない、僕の後ろに道ができる・・」という事を思っていたとお話してくれました。凄い、時代の先駆者の人と出会っていたことを改めて実感しました。強く、明るく、生きる 姿は美、そのもの。学び吸収し、実践していきます。「ほな・・・」と手を振ります。