ついと、恩人の方のアドバイス?質問?に内容を聞かずに「すみませんでした。」と出ます。それならやらないの?と言われ、即やります。と返答しました。すみませんでしたと言う自分を考えます。常がすみませんでしたという生き方をしている自分に気が付きます。恩人の方から見たら、済まない生き方の自分です。もっと、世の中の為に働ける、もっと、もっと動いていける、個人でなく、全体に働く動きをすることで、本音は「ありがとうございます。」と感謝の表現をしたいのです。目先の感情だけでははダメです、その感情の元を深く考え自分のものにします。
同居人は何かすると「すみません。」と言います。スタッフもそう言う人がいます。自分ですみませんと言わないでと訂正しておいて、このざまはないと心よりお詫びします。すみませんと言うよりもありがとうと言いましょうと、アドバイスしています。すみませんでした~は相手の方に自分は失敗をとがめたのかという気持ちにさせてしまいます。
自分の内面で人に出会っていること痛感です。自分を改めたらいいだけ、相手を変えようなんて、だいそれていました。傲慢でした。親でも、神様でもできないでしょう・・・自分が変わる。ありがたい盛岡での経験でした。東北へ、全国展開でしたね・・・・((´∀`))