文ちゃんのお通夜でした。デイサービスで撮った最高の笑顔の慰霊がありました。親戚の方数人とデイサービス、我が社ヘルパー責任者の参列です。心温まるお通夜です。介護サービスの席は本人の思い出話します。ご兄弟の車いすのお兄さん、病気で来れないお姉さんの代理の息子、等々親戚は現状の自分たちの情報交換の場です。誰もはばむことなく進みます。

久しぶりにお寺での葬儀、大きな古い立派なお寺さんの読経や祭壇の場はみな椅子でした。お寺も変化ですね。いつも思う事は、葬式は亡くなった家族の為にあるという事、本人の意向は殆どありません。本当は文ちゃんどんな葬式が良かった?と聞きたいところですが、できませんね。自分は子に葬儀については話しています。勝手にやられたたまりません。いろいろ見て来ていますからね。

今回もわが社と関連の葬儀社に頼みました。本当の文ちゃんの生前を知っているケアマネだからできる事があります。これ、急に来た葬儀社だったら、世間並みのことに進むでしょう。文ちゃんと家族が喜ぶ、納得する儀式考えます。そして、自分と葬儀社の人との関係をみて、話やすいと家族さんもそのままストレートに話が出来ています。昔は近所で葬式をしていた延長のようでもあります。急な葬儀を滞りなくすること喪主の務め、そこをサポートです。

デイサービのスタッフが、本当に純粋な人でしたと・・・多くを学びましたと、頭を垂れていました。障害の方の心は純粋、我々健常者にない物を持ち生まれて来て、純粋である人間の心を取り戻す瞬間を作ってくれます。どなたのいのちも大事、学びです。