今、死が近い人がいます。高齢です自分が断定していうことではありませんが、朝・夕には訪問しています。全身の痛みがあるようで、苦悶しています。なんとかして差し上げたい、穏やかな最後は無いのだろうかと、数日間通っています。さする、マッサージすると、触らないでといいますが、傍にいてほしいとも言います。なんとかならないかと、医療関係者も薬を増やしてはいるようです。

何人もの方の最期を看取るということをしていますが、この方は心臓の疾患があるのみです。ほとんどの方が、穏やかな最後を迎えている自分の周囲です。この苦悶はなんだろうかと不思議、不思議・・・。いだきしん先生の「死について」という講義を何度も聞いています。死は終わりではない、人間は死ぬときに一瞬で人生をみるともお聞きしました。ついと、この時に、この苦しみはと考えてしまう自分です。

人生の反省をこの時にしても無駄です。この方の言葉を探しています。お話しはできます。急にみそ汁飲みたいとおっしゃられ、たまたま、配膳遅い方の分がありほんの少し分けて頂きました。とろみ付けて、一口、スプーンで運びました。「美味しい」「もう結構」飲み込むことも容易ではありません。その後、少し、うとうと・・・されていました。又来るねと言うと、うなずきます。覚悟し部屋を出ます。一人のかたの人生、深く考えます。