長崎の五島列島から出てきた方と話します。やんちゃ坊主の時、けんかの話、奉公先を飛び出した話、島の風景、たぶん再び帰れない故郷の話です。帰れないので、帰りたいという言葉はありません。覚悟で出てきた島なんでしょう。眼が見えない方ですので、よけいに鮮明に頭の中にあるようです。自分の田舎と重なる話も多く、昔を思い出します。家族仲良く、食事の光景が多いかな?しあわせの瞬間です。
五島列島の出身のお客さんが4人もいます、これは多いですね。わかりませんが、いつか行かなければならない島のように感じます。観光で行くには良い所、住むには大変だと話してくれます。日本の田舎は皆そう、我が田舎も、朽ちた家、コンクリートで固めた、墓(草が生えないのでいいですがね。)少しの山、少しの土地。誰もいません。兄弟は関東です。日本の現状。ああ、1か月前に所ジョージの日本の田舎、ダーツの旅に出てました。第一村人発見・・・
60年前、働き者の両親はミカン山や豚の養豚やら、していたようですが、どれも上手く行かなかったようです。結局父は出稼ぎで、家族を養いました。正月と盆お土産たくさん抱えて帰る父、周囲はみなそうでした。そんなものと感じていました。子が生きる事が楽しみだったのでしょう。日本の高度経済成長の時代、父は子が一人立ちすると亡くなりました。生前、人生50年と言ってたらその通りとなりました。言葉はいのちです。いのちの言葉使いましょう。