近ごろ、お客さんにリハビリを頼まれる事が多いです。動けなくなった身体をもう一度動けるようにと、リハビリのルーツは最近の事です。ベトナム戦争で帰還した兵士が身体も心も病気の状態で、社会復帰をさせないと米国にとっては大きな痛手という事で始まったと何かの本に書いていました。社会復帰で病人や老人から始まったことではないのです。案外日常の中、戦争や政治からうまれた事柄が多いのではないでしょうか・・・

昨日も身体が動かない、入院したいと言った人がいましたが、おいそれと入院は今の時代できません。そういえば、ズート前に勤務していた某市立病院、冬になったら毎度、亀岡から入院してきていたばあちゃんがいました。理由は寒いとの事、その当時は医者がOKだしたら入院できましたものね。春になったら田植えがあるので帰宅していました(笑)。そんな時代もありました。その病棟9人部屋があり、大人も、子どもも入院していましたっけ・・・

関東から大阪に来た年、その年阪神タイガースが優勝した年で、夜勤をしていた時、この9人部屋から大きな歓声が出た事覚えています。病院総務課では、熱心な人が大きなお祝いケーキを買っていました。大阪人にびっくりした思い出です。今では、ヒョウ柄は付けませんが、しっかり大阪のおばちゃんです。いえ、日本のおばちゃん、誰にでも言いたい事いいます。人生それでいいのか?という意味で言います。はじめて大阪に来たのは中学2年生でした。その時、どこの駅か覚えていませんが、駅の改札口を出た所で、自分に合っている、私はここに住むと決めていました。リアルに覚えています。みなさんにも原体験あるかもね?

リハビリテーションから、逸れた表現になりましたが、この田舎くさい病院へ務め、目覚めた事が今に繋がっています。これではいけないと思う事と、凄いと思う事が混在していました。しかし、この病院でも自分は好き放題しました(笑)。今に繋がります。