友人からの電話、彼女は自分と違い、嫌がらずに、人に優しく、人の世話を進んでします。知り合いのゴミ屋敷を、本人の了解は得たものの、それっと、本人さんの知らない人まで数人で片づけてしまったようで、病院から昨日退院してきて、激高されたようです。人数が多い分、自分のやり方が出ますので、物は知らないうちに、どこかに置かれたり、捨てられたりします。これでは、怒るのも無理ありません。

まずの失敗の原因は、本人の了解を取っていなかったという事です。勝手に良かれと思ってやった事。たいがいのゴミ屋敷知っています。しかし、そうなった事には理由があり、物も本人さんは置いている場所案外覚えているものです。自分は、時々、これは明らかにというものはさりげに捨てます。長い付き合いで大事なものやそうでないものは解っていますのでね。

電話の彼女は、反省至極、傲慢で会った事、自分(私)に相談したら良かったと言います。人は自分の尺度で物を見ます。当たり前の事です。自分の尺度で物を見ている事を自覚したらいいのです。自分はこう見ているけれど、人はどうなのかな・・・?介護の現場でも言える事は、いらんことしない、こっちの傲慢なやさしさで相手の能力を奪う事が多いです。やってあげているという意識。いらないです。させていただいているとも違います。

自分にも言いました。彼女に「いのち一つ」の状態でいることが解決への道と・・・。今、そこにいる人と、いのち一つで居れるかどうかです。究極の介護。