ああ、とある事に、やっと得心できたことがあります。偽って生きていた人は、「真」現れる時代にはここにはいられないと逃げたのだとわかりました。どんなに、いい事していると表現しても、その部分だけでは、他の事が人間としてどうかと考えると、出会っているいのちが、違和するのでしょう・・・。3年前にこれ程一緒になって考え、動いたのに、偽りだったことがまるわかりです。やっと、ここに表現できます。自分は使われていただけでした。

共に生きようとするならば、辞める、いなくなると言う選択は死を意味するまで、自分は考えます。出会ったなら、共に生きて行くよりない、魂の出会いをみなに感じます。そして成長でき、出会って良かったねと人間であるならそうでしょ!

明らかに、その方の失態が招いたことですが、自分の所為にされています。自分も含め、みなそう生きていませんか?人の所為にし、自分を正当化しているのは身を滅ぼします。わ・た・し・のように身体壊します(笑)。とにかく、分かった時から次へと、向かうことが大事です。他の人を使っていきていく寄生虫のような生き方は終わり、自立する自分となります。人生は深いのです。