言うことなし、あっぱれでした。土佐男という名をつけた方は土佐の男として、旅立ちました。見送りはいらないと「ない」とうい最後を言葉3回言いました。家族が見に行ったときはもう息が止まっていました。訪問医の先生を家族と待ち、先生もたくさんのことを短い間に教えていただいたと・・・大工さんで、「魂のない家は作らない、手抜きはしない、先生もそうして、弱い人の所に行って、助けてあげて。」といつも、自分はいいから他の人の所へ行けと、私にも言っていました。「親分、来たよ」耳元で言うとにや~と笑ってくれます。最高の笑顔だね!

病院で点滴まみれで亡くなるのでなく、枯れたように亡くなったので、専門用語で言う死後の処置は何もなしです。ヘルパー2人と家族で体綺麗にし、大工に行く恰好と、なんと、阪神ファンだったと昨日聞き、タイガースの帽子をかぶっていただきました。まるで、今から仕事に行くようです。いってらしゃい!

訪問医の先生が、死亡診断書書いて、家族に「まだ、お父さんその辺にいるから側にいてあげて・・・」と言い思わず私、「先生見えるんですか?」先生はうなずきました。凄いですね。大事な、大事な出会いでした。また、先生といっしょに仕事するからねと土佐男さんに言いました。

キャスケードかんのん(葬儀屋)第1号の仕事になりました。始まりよしです。多死の時代よいお見送いたします。