高校生の時にお世話になった保健室の先生(88歳)からはがきが届きました。旦那さんが亡くなり喪中との事、私の活躍ぶりを喜んでいます。先生がいなければ今の自分はありません。非行少女だったのではないのですよ、真面目ないい子ちゃんでした。友達と保健室がいごごちがいいのかよく遊びに行っていました。先生に看護学校へ行きたいと、急に高3の10月くらいに話した記憶があります。自分は手に職をつけたかっただけで、知識もなく准看護師かなぁぐらいでしたが、先生が一生懸命に手配してくれて、今からの時代はということで、アドバイスいただき3年制の正看の学校に入学しました。
先生のお便りにもありましたが、大分県佐伯市から熊本に試験を受けに先生と行きました。神奈川県藤沢市の看護学校でしたが、当時は熊本と仙台も試験会場でした。試験前に卒業生の先輩と試験会場の机と椅子を並べた記憶があります。入試前日にです。こんなのありか・・・て当時も思っていましたが、これが在ったので試験に合格したのかもしれません。いいことすると、いいことあるよ・・・
昨夜、東京でのコンサートの音を聞きながら、自分の人生考えていました。会社の代表すること考えてもいない青春時代、看護師、今度は青森に旅行に行きたいという要介護2の方、お葬式もやっています。訪問入浴サービス・・・もうなんという人生でしょう。考え、行きついた先は「自分は人間が好き」なんです。亡くなった女性たちを思い出し、たわいない話をしているその時が好きなんです。だから、全部希望を叶たいのです。
器の大きい人に会ってというメッセージ、高校の先生からはじまりでした。それは高2の時に亡くなった母の死からです。愛を残した母を感じる1月17日震災22年目の朝です。