1月3日に亡くなられた女性の息子さんが、納骨に京都のお寺に行く予定です。出身地は能登半島の端、珠洲市です。その辺の田舎の方は、昔から墓はあるけれど、分骨という形で、どなたも京都のお寺に納めにいっていたようです。自分の九州の実家の周囲では考えれない風習です。わざわざ、京都まで行くの???。仏教が盛んだったのか、本当は違う理由があるのか分かりませんが、仏壇の骨に、お別れしました。

10年以上の付き合いで、とっても他人ではなかったですね。お互いの気持ちがわかると言うのか、人生をどう考えて生きているか、奥の奥まで知っていました。ケアマネの仕事考えます。心の奥の一番大事にしているところに触合っているようと考えました。今年上半期、亡くなっている方を思い出し、自分の気持ちは、「死」が永遠の別れであることはではないようにも感じています。伝えたい事があるわけではないのですが、も一度会いたいという気持ちが全員の方にあります。ただ、会いたいだけなのです。話するとかでなく、このように、生きていた状態を共にいるということでしょうか・・・

も一度会いたい、ただそれだけ・・・。魂は永遠というお話も聞きます。不思議と悲しいとかありません。いつも魂のところでは共にいるのかな?ただ、魂は物体でないので、会いたい、気持ちがあるだけかもしれません。これ、不思議と亡き親にはない感情です。自分の感覚では、みなさん微笑んで、穏やかな感じです。ただ、美しい魂に会いたいだけなのです。