東京に一泊し、はじめて靖国神社へ行きました。父親の古いアルバムに兄弟で映った靖国の写真があります。叔父2人が合祀しています。よく考えると、叔母の連れ合い、義理の叔父2人も戦死していました。雨であり緊急事態宣言中、人がいません。感染回避になりそうで良かったです。「靖国で会おう」という言葉で戦死した言葉を思い出します。国の為というよりも家族の為に身を犠牲にした事はよく分かることです。

同郷の人の奥さんに宛てた最後の手紙がありました。その中の一文は「大野(大分のある地方名)の父親を頼む、良き縁があったら嫁ぐように・・・」とありました。幸せの基準が違いすぎます。人の為に生きるとは・・・を考えました。武士というのでしょうか、日本人、人、自分が先という我が身を振り返ります。

自分は人の痛み苦しみがわかっているのだろうか・・・、亡き魂の上に生きていることは自覚しました。人を変えようと言葉を並べても自己満足かもわかりません。まず、自分が生きている今、たくさんの働きかけがあり生きている、仕事していることを分かり、未来の人に役に立つ生き方やっていくと決めました。先ずは、自分がどう生きるかです。聖と邪が分けられた世界に突入しています。うかうかしてられない今です。縮じこまった生き方せず、宇宙に背伸びするようにのびのびと生きていく。