心、綺麗に生きたいといつも考えます。仕事は純粋な気持ちでやって行きたいです。病んでいる人、弱っている人、手助けが必要な人・・・傍にいる人の心が綺麗であることが一番です。やはり、相手の身になるというのでしょうか・・・。純粋でいる時の過去の体験は感動です。

5日前に知り合いから「渡邊さんもやって・・・」と急に言われ、「えっ?」私はできないから依頼していいという話の流れだったと認識していたのですが、とびっくりしました。ご本人さんは、やる人がいないので手を上げたという話をしました。このことでしばらく落ち込みました。まずはその人に、最初からできないことを安請け合いするなぁ・・・と非難しました。それは答えではないので、考えたら、自分はなぜこのことをすると決めたか原点に立ち戻ることができ、気持ちがスッとしました。もう落ち込むことはなくなりました。

昨日、自分は失態をしでかしてしまいました。故意ではなく手がすべり熱湯を自分の手に浴び、相手の服も汚してしまいました。まぁやらかしたという事ですがこちらの失態ですので謝りました。直ぐにクリーニング代の請求といわれました。まあしかたがありません。しかし、自分の手も火傷のようでしたが、周囲は拭くことで一所懸命でしたね、後からこれって?という気持ちはあります。家族にこの話をしたら数年前は自分たちが反対のことをされた時はいいよいいよとお母んは言っていたよ!とこのと忘れていたのです。人間ならばそうです。故意ではない事は丸わかりです。「手,大丈夫?」一言が大事だと痛感しました。我がこととして考えます。辛い立場はどちらかです。服が大事か人の体が大事か・・・。起こっている事は身の内です、小さいことですが、よく考え、日々成長です。