行きつくところはこの言葉です。何故生まれ、どう生きるのか、このままでは終われない人生です。自分も周囲も困難なことがあると何とか納得させようと頭が動きます。現実はこうであったとそのまま、受け取れない頭です。自分たちは精一杯やったのでしょうがない事・・・とこう頭がなります。そのまま分かる頭になれるよう、しょうがないという頭は止めです。相手の所為にする頭も止めです。
村人がひとり去りました。なんとかできないかと努力は全員でしました。「かわいい所があるのに・・・」本当に全員がそう感じていたのです。病気が行動を作ってしまっていることもよく分かっていました。まず、こうなった状況の把握が必要でした。私の考えは違う角度から考えます。自分自身の動きが遅かったです。プロ中のプロがいろいろやっているというのんきな事を考えてたのです。これも止めます。(止める事、無駄な事が多いです。(笑))
副村長が不自由な手で去っていく人へ手編みの帽子と手紙を書いたようです。その手紙を読み皆が涙したと聞きました。お礼をいいたくて訪問したら、副村長は疲れ果てて寝ていました。手編みの帽子と手紙のことは教えて下さいました。手紙をみなに見てもらったのは、この手紙を家族の人が見るかもしれない、変な事をかいていたら大変なので見てもらったというではありませんか、凄い!偶然な計らいで、皆が見て、たぶん心よりのお別れができたと思います。村長は認知症の本人さんはニコニコしていたけれど二度と帰れない、出ていく事は知っていたようと言いました。感のいい人でした。そうでしょう・・・。経験をバネにする、肥やしにするのみです。不可能を可能にの人生にしていきます。