仙台で伊達政宗公と題したピアノコンサートの一部が始まり、ものすごくかっこよく、強い、美しい、男性が現れたいだきしんコンサートでした。二部のメッセージが丑寅の金神という聞いただけでも恐ろしいメッセージです。聞いただけでもということは、自分になんだか卑しい心があるからです。。。ひたすら、真っ当な人間として生きる事を考えました。

昨日も起こっている事は愕然状態です。問題という事を考えると、過去の訂正はできません、今とこれからをどう生きるかと頭が切り替わりました。過去のことに振り回されてもしょうがない、終わったことの事実は消せません、そこから考えどう改善してくかです。これより道なしです。嘘も隠しもしないと決めました。最善のことをしたつもりですし、分からなかってといえば済むとは思いませんが、事実そうです。そこから勉強し今がありますと伝えるのみです。

コンサート2部のピアノの一音、たった一音ですが、おっこの音知ってる・・・と次に生まれた表現は「昔、自分が水だった頃の音」と言葉になりました。まるでファンタジー、メルヘン、アニメの世界です。事実そう言葉となりました。ああ、自分はずーと昔は水だったのか・・・なんてロマンです。豊な経験を活かしていきます。今日も勉強し身に着け、帰阪し働きます。問題、課題、困難・・・山ほどですが、苦ではありません。楽しく向かって行く感じがしています。