村人が旅立ちました。きっと自分が大阪にいる時(お見送りが出来ると言う意味)に亡くなるだろうとは予測し、現実となりました。土曜日には新しいスタッフ達に看取りについて話すことができたので、皆の心は一つだったように感じます。悔いなくということだけです。自分も含めて、あの時にこうすればよかったという反省になることだけはダメです。その時に一生懸命に考え動く、いえ動かないということも選択です。ここだけは伝えました。

完璧な死というか、昨日は関東からの家族に会え、ノンアルコールビールを飲みニコニコの家族写真が部屋に飾ってありました。2時間前には話す事もできました。お顔はまるで眠っているようです。事情があり家族とは最後の最後に繋がったようです。家族さんが帰る直前に亡くなり、みなが満足です。家族が来るのを待っていた、と全員そう思っています。

村でも礼儀正しい人でした。最後まで礼を尽くしたようです。そういうことを大事にして生きて来た人だったのではないでしょうか・・・。人は生きてきたようにしか死ねないのですね。そうすると自ずと姿勢が正されます。どう生きるかです。死は学び、新たな出発です。

しかし、夜の7時過ぎにお亡くなりになったのですが、帰宅したスタッフ数人がまた返って来てくれました。あくまで気持ちです、人は気持ちで動きます。ネバならぬではなく自然でいいのです・・・。スタッフ全員の気持ちは通じています。