お互いにカバーしあうのが人間です。昨日は嬉しかったことも、がっかりしたこともありました。7月10日までに振り込まなければならない納付書類に不備がありました。まあ多分、どうしてこういう不備かはおおよそ検討はつきます。犯人捜しをしなかったのが嬉しかったです。不備があったらどうやって乗り切るかそこに向かっていました。当たり前のことですが、こういう動きがとっても嬉しいです。まずは自分から実践していきます。
少し前から配慮と言う言葉を使っています。気を遣うのではなく、配慮です。気を使うのは使われた相手も気を遣うのでよくない、配慮がどのくらいできるかです。配慮とは、手落ちのないよう、または、よい結果になるように、あれこれと心をくばること とありました。またここで、心をくばるとは 心配とは違う、心配はあくまで自分中心の心の動きを指します。心を配るという表現は自分の心を相手に寄せる・・・その中心は、その相手の中にある、という検索結果です。成程です。
相手の心に寄り添うことです。ハラスメントの勉強をしたので、自分のことばや行為によって相手が傷ついたらハラスメントと言う定義でした。いろんな考えの人がいるのは確かです。どうしたら自分の気持ちが伝わるか、人が助かっていくことを目指す会社です。社会全体がよくなっていくこと考え続けたいです。みなが気持ちよく生きるには・・・問う毎日です。
昨夜はいだきしんピアノコンサートへ行きました。身体の不調が少し、いえだいぶん良くなりました。凄いなぁ、いだきしん先生!。自分がもっと成長なければと座った一席、ふと痛い手をいつもぎゅっと握りしめて痛さの確認と、動かさなければ拘縮してしまうという思いとありましたが、ふと、自分の両手で握手をしたら、痛みがないのです。手が入りふわっとすることで関節もゆるみ痛みがありません。手の中に赤子のやさしい手の感触よみがえりました。こうして生きること、へんに力を入れても痛いだけ・・・そういえば力を抜くというコンサートのメッセージでした。ただ、強く北風のような突風ではなく、温かい太陽のように・・・一枚自分の皮が剥けて(物語では服です)いけるよう・・・まあそんな自分となります。剥けて剥けて、最後は何もない自由な自分ですね、(笑)