村(ケアビレッジかんのん)でお亡くなりになった人を皆で見送りました。火葬場に以前のスタッフも来てくれていました。こうやって温かいお見送りができました。いつも考えることは、また再び会った時にそのお亡くなりになった人とちゃんと対面できるか?です。尽くすということです。入居のご利用者さんの一人がお花を棺に入れる時「また、会いましょうね」と言ってました。ほんとうにそうだと実感です。家族は見えませんでしたが、新しい家族です。スタッフがコーヒーを入れてくれて、コーヒー好きな人でティッシュペーパーに含ませました。人として最大限に尽くすということです。

ばたばた、してNOP高麗迎賓館のピアノコンサートへ出かけました。ミッションは皆さんを車で送迎することです。無事山道を車ではしることができ、ピアノの音は火山の爆発のように凄まし・・・生きとし、生けるもののいのちの賛歌のようでした。お亡くなりになった人がにこやかにいました(勝手に想像しています)いだきしん先生から小さく見えると言われ・・・小さく生きている事の自覚をしました。このもう第三次世界大戦に入っている今、小さく生きてもしょうがないのです。まだ、苦手な人を寄せ付けない自分も自覚しました。ケチ臭いのです。あ~あ、という気持ちです。ケチ臭さく生きたくないのですが、あーそれなのに、それなのに・・・。近日中に抜け出す!

村の入居者さん、末期の人がいまして私は「老衰」と言っていますが、みなは納得していません。たまたま大きな病気が判明しただけで、大変だぁ~となっています。すったもんだしている中で気が付いたことは「誰を一番に支えるか」優先順が違うことです。自分が担当だったら、こう話を進めていくだろうなぁ・・と、腹をくくることが私はできます。逃げも隠れせず、責任者は私です。スタッフの所為にしませんよ。そうは生きていないのです。利用者さんを支えること一番に考える(株)かんのんです。