友人の身体の調子が良くなく、何とかならないかと思案し私が良いと思う事を提案していますが、頑固な性格で聞き入れてくれないことも多いです(笑)。良かれとやっている事が彼女には負担と感じたり・・・、奇跡にかけるしかないのですが、今のウクライナの事と同じで奇跡が起きたらと願うばかりです。近頃は、これだけ人が多く亡くなっていることにまだ戦うか?と疑問がわきます。自分が国のトップなら、どうであろうと止める、と単純に考えますが、ことはそうはいかないのでしょう。被害は最小限にしたいものです。
私は、陸上選手だったのですが、棒高跳びのブブカ選手のコメントで51人ものアスリートが亡くなったと、何でと、何か意味があるのでしょうか、若い命が奪われていい話はありません。人間が腐っています。いえ人間ではないようです。怒りは悪のエネルギーの元になると聞いていますので、自分がどう生きていくか、今、支えていく人のことを考えます。
今日は、母の命日です。16歳の私は母が亡くなっても空は青く、世界は変わらずに動くことがショックでした。疎外のはじまりでした。人には必ず家族がいます。いのちを全うするように、人生の途中の死は残された人、死んでいく人、お互いが不幸です。後からは意味付けしてしまい、物語にしてしまえる人間です。生きる事は未来へ向かうことです。幸い本日、いだきしんコンサートが京都で開催されます。人間としてどうよ!と問い、皆で生きていく知恵、行動、エネルギー充満へコンサートへ向かいます。見て見ろよ!と未来には絶対に話します。