伊達政宗氏の偉業を聞いていましたので、伊達政宗氏に会いに、青葉城に行きました。昔の殿様がなにをしたのか、会社の経営をしてる人間として、いえ、日本人として知ることが大事です。仙台藩は東北では大きい藩ですし、大きな震災にもみまわれ、塩によって復興をした、また当時スペインとの交易をしていたようです。伊達政宗公の馬に乗った姿もですが傍にある、大きな鳥のブロンズ像が印象的でした。上空を鷲が飛んでくれていました。
城内に護国神社がありまして、家族が戦艦大和を見たいと入りました。そこは戦士した方々の写真がずらりあり、手紙や遺書がたくさんありました。いつもならこういう場は気分がすぐれなくなるのですが、返って気持ちがいいくらいでした。理由ははわかりました。出口にインドの方が第二次世界大戦は欧米から仕掛けらた戦争だったときちんと書いてくれていました。この一文があることで戦死した人が浮かばれているというのでしょうか、そんな気持ちでした。事実は凄いです。歴史は塗り替えらえます。
お母さんにごめんなさいと遺言を書いている手紙がありました。その横に「日本語で書いて伝えています。言の葉です。日本語を大事にしましょう・・・」とあり、まさに、使う言語、表現する言葉(日本語)を見直していこうと、大事ないのちの言葉です。日本語で最後の気持ちを伝えたのです。言霊ともいいます。そして中秋の名月に照らされ、明け方無事帰阪しました。人生を考え、再出発の実り多き東北でした。たくさんの事に気が付かせていただけ、強運です。気持ちはこの運の良さをみんなに分けて上げる~です。