盛岡の宿の横は北上川が流れています。きたかみという名はひたかみが語源と知りました。阿弖流為(あてるい)という名を聞いたことがありますか?蝦夷です。時の朝廷と闘い敗れたのですが、報復はするなと言って大阪の枚方で処刑され人物です。北上は阿弖流為の里です。日本人であるならこのことを知らなければならないのです。
まだ肌寒い盛岡で桜はまだですが、フキノトウや水仙のつぼみ、柳の木の新芽、小さな紫の花、鳥が飛び、カモが川を泳ぎます。脈脈と流れる自然です。きっといつの時もある自然です。自分を取り戻す時間です。川面の雪解けの柔らかいふわふわの土が足に心地いいです。
夕刻より「死について」の講演会に参加しました。ある方が子のことについて質問していましたが、正に自分も子をコントロールしたい親であることがよくわかりました。コントロールしたいから子はコントロールされないようにもがく・・・またコントロールのはじまりで永遠に解決しません。どんな状況でも子が生まれてくることには、罪はないのです。親の妄想した思いだらけです。そのまま周囲にいる人がどれだけ手を差し伸べていけるか、それも負担にならによう自然にと・・・、時を同じにして子を預かり、このことは大変な人類の課題だと今体感しています。理由は体の壊れ方が尋常ではないのです。折しも時の総理が子どもを平等に支援すること打ち出しました。向かっている方向は同じようですが、根本解決の中身は大きく違います。愛が中心、人が生きていける社会を・・・と考えています。
嬉しいことは、3月のお給料袋に入れたお便りを読んで、スタッフのひとりから感動したと感想があり、共によい人生になっていけたら嬉しいです。彼女の言葉が変わってきています。