久しぶりに本を読んでいます。「ケアとは何か」というタイトルです。目から鱗のようなことも書かれています。今だからこそ頭に入ることかもしれません。現場の実践、現象学者さんだからかける本です。今の自分のケアの元はどこからかとひも解いて考えました。それは20代で働いていた市立池田病院からだったと分かりました。もう自由奔放とはこのことです。本当にいろいろなことがあった病院でした。しかし、自由に看護婦をしていたのです。当時の看護部長には睨まれましたが、婦長達には愛されたキャラクターでした。本当に好き放題をしました。また、医者をはじめユニークな人達がたくさんいました。自由を経験した身は枠に入れらると生きてきません。会社を作ったのも、一人から始めたれ、自由に仕事をしたい、自由に動くことを命が望んだのです。今だからよくわかります。
盛岡コンサートに参加できていますが、自分を振り返るこのような時間を持て、忘却の彼方となっていたこと、原点とも言っていい場面、場面を細部に思い出しました。人間を感じていつもあったようです。絶えず、「人」とのふれあいがありました。生きている実感の時だったようです。この病院は人間があからさまに出ていました。面白かったです。だから自分なりに一所懸命に看護できたのです。
ケアとは人のいのちと命のぶつかり合いで、生き方、生活、人生全て、ぶつかりスパークするのです。ここから新たな出発です。帰阪して、やることも見えてきました。次いきます。