善・悪と頭は反応します。悪は誰が判断するのでしょうか?たぶん自分の頭です。自分が良かれと思ったことも人様にとっては良くない事まさに悪かも知れません。みんなが〇となるような世の中になってほしい、いえそうすることが私のやることです。善悪の判断すること事態が違うような・・・。自分の気持ちを伝える事です。まあ、正義感が強いというか、正に正義を振りかざして生きてきたような・・・自分を自覚した。昨日の京都ロームシアターのいだきしんピアノコンサートでした。
コンサートメッセージに、善を実行するには勇気がいる、気合がいるというか、悪いままでいる方が気分的に楽という内容があり、今の自分の状態であることを認め笑いました。もっと自由であり、みなが幸せになるよう、表現していきます。会社のトップがそれをやらなくてどうするです。

車いすで普段はマスク式の呼吸器を付けている難病のツレを誘いコンサートに参加しました。行く道はやや呼吸が苦しそうですが、帰りの車ではようけしゃべっています。呼吸も身体も楽になったようです。呼吸器積んで、毎日外に行くツレには脱帽です。動くから生きているのです。これ寝たきりになったらとっくに死んでいるね、と本人にも話しています。動かない民族は消滅しているのは歴史上あきらかなことです。だから私はマグロで生きているのです(笑)。昨日のコンサートにて私の腰の痛みが消えたのです。感謝です。身体が喜ぶ音です。

コンサートでは大きな気づきがありました、自分は人に感謝を強要していたことに気が付きました。ありがとうという言葉だけじゃ足りないよという自分でした。なんという傲慢さでしょうか・・・。やった分以上の見返りを求める自分を自覚しました。唖然と絶句ですが、まずは自覚できたことからスタートです。ありがとうという気持ち、心が通じ会う事がきっと善なのでしょう。自分も心の底からありがとうございます。・・・を言える人になります。日本には困っている時は、お互い様という良い言葉があります。