暖かくなってからの寒さは応えます。今日も寒いようです。体調不良の家族の希望にて、京都高麗ギャラリーカフェに夕方から行きました。気の流れが良くなったのか元気になりました。

京都へ行く車中で2月に亡くなられたご利用者さんとそっくりな人と出会い、家族と似てる!ねと確認しました。そんなことがあったので、なんだかずっと考えているのです。この方の人生はしあわせだったのか・・・。介護状態となり出会いました。元気な頃を知りませんが、上品な方でした。晩年はひとりで家族はいませんでしたが、周りに居るものとしては一緒懸命に支えました。この支えるということ、ご利用者さんはお任せします状態でした。誰が任せてもらえる人だったのか??いまだに、しっくりきません。大手を振って良かったとは言えない自分です。

おりしも、状態が良くない人がいます。家族の付き合いはあまりなかったようですが、病気になったとたん自分のこれからのことを家族に頼まれました。よく動いて下さる家族さんですし、本人も任せているので・・・と言います。それでいいの?という気持ちですが、こちらが家族を引き離すことはできませんし、そういう気は毛頭ありませんが、本当はどうしたいの?任せるということの中身は周囲全員が納得することが大前提のような気がします。はっきり言ってこのまま死んでもいいの?という過激な気持ちです。

世の中綺麗ごとでは行かないことは重々承知しています。この度の戦争もそうです。任せて、誰が良い目にあうのか?徳するの?、全ての人が納得する、平和への道がつくられることを願います。全世界が納得する終焉を望むひとりでありたいです。