頭が先に働くのは心配性・・・いえ余計なお世話か?
今までのいろいろな体験からふと、大丈夫かな?という頭になります。とりあえず、表現して、後は本人がどうするか・・・という自分なりの結論です。先に考えすぎているのか?という正直そういう気持ちで、話すと結果的には、取りこし苦労のようでした(笑)。自分の不安の解消でしたね(笑)。周囲の事を含めて一番良い方法で、何事もあってほしい願望が強いのです。

認知症の利用者さん徘徊というか行方不明・・・警察には届け出をしたということですが、まあ現場に行き1時間くらい探しました。見つからず、事故になってないか心配、最悪の事も考えます。午後から出発でしたので、腹はくくりました。ここで何か連絡があれば出発取りやめ、出た後はは任せるということを決めました。移動中に連絡があり、自分でタクシーに乗って帰ってきた、タクシー代もってなかったけど着いて家族が支払ったようです。ホッとしました。家族介護の限界かな?不適切のケアの問題でこれは防げる課題です。虐待ではないけど専門家はきっとネグレクトと言うでしょう。早々に手を打ちたいです。

外出先は「高句麗伝説コンサート」参加です。一気に何故生きている?という問いが自分ひとりではない皆の「悲願」であるからと答えは明快に分かりました。大地に助けられ、水と共に生きて来たと表現された言葉が胸に迫ります。ケアをする仕事をさせていただいているそのきっかけというか、自分の人生の始まりは、小学校1~2年までいた双子の同級生、2人共に障がいがありました。一人は学校に行けていたのですが、もう一人は行けなかったと覚えています。私は気になって側にいました。学校の送り迎えについていたような・・・。田舎なので徒歩です。幼心に何かを感じたので人をケアする道に入ったようです。あの体験がなければこうは生きてなかった・・・。たぶん心が通じた体験、共感が起こったのでしょう。どのような出会いが幸いするかわかりません。物事が運ぶ道、流れというのでしょうか、作られている道をより良く生きるだけです。なんだか不安いっぱいの気持ちが前向きになれました。この道を行く、賛同してくれる人と一緒に行く! 物凄いイベントで、ここが現実なら、生きる世界は?どうなってる?、世界はこちらに巻き込まれたという感じを受けました(これ私の感想ですよ(笑))