人を助けるというとおこがましいのは分かって使っていますが、ケアすることは難しいです。ついと、いい悪いという判断が入ってしまいます。それも自己判断してしまうのです。自分が良いと思う事を表現してしまう、または人に押し付けてしまっていることに気が付きました。良い事をやっている気にならないと自戒します。
日々どう考え行動していくことがベストか考えます。相手さんのいのちの危機の時はガムシャラに動いています。思い出したのは、新人看護師として入職して少し経った頃、その病棟にはIUCの部屋が2つあって、常時入院患者さんがいるとは限らないのです。内科病棟で平穏な日が続いている時、ICUに救急搬送ありますと連絡があった時「よしゃ!」という嬉しい感情がわき上がった事を思い出しました。まあ病棟全体もそんな感じで向かっていくぞ~のようでした。何だか人が病気になるの喜んでいるのか?とも一瞬考えますが、躍動感になります。究極の人助けなのかな・・・来るものは来いという感情です。
神戸の以前わが社にいたスタッフが再梗塞になってしまい、知り合いを通じてSOSがあり、動き方の指示をしました。実質動いたのは知り合いですが、少しして、いのち助かったという表現はしたけど感謝がないと、知り合いは怒っていました。私も気になってその表現を見ましたが、いのち助かって生きているというのみの表現に感謝があふれていると感じたのです。この差はなんだろうかと???と考えていましたら、ずっと気にかけて近くにいた人と急に出て来てあれこれと一発指示した人との差だと気が付きました。やはり自分の時間を使ったり、難儀やなぁとか、大丈夫かと常にいる人との差ですね。だから自分が良いことをしたとかではなく、人としてどうかということです。状況を改善するのは当たり前、なにも偉そうにすることもないのです。困っている人がいる、いのちの危機の人がいる時自分がどう動くかのみです。バイアスはいりません。心ひとつでいること!ですね。