身の周りに起こっていることがコンサート中も頭は巡ります。悲しそうな龍が浮かび、龍の目から涙が出ているようでした。何で生きている人間がこうもいがみあう(私の表現です)というか、人間関係が良いように運ばないかと・・・。龍の目から悲しみの涙が出ました。幸せに暮らしたことがない、愛を知らず・・・ということですね。愛を知っている、愛を体験している人は人に対して、人が嫌がっている事はできないでしょう・・・。人が傷つくことは愛ある人はしません。自分勝手です。

そういう自分はどうかとも問います。過去、いえ今も私の言動にて心折れる人もいるとは思います。しかし、基本は人間として成長してほしいのです。昔から、言葉はきついけれど嫌味はない、納得するとは言ってくれていました。まあお世辞半分で聞いています。人間、人類しか愛が
交流し、愛が成長することはないとお聞きしています。人間となることです。

いだきしん先生の特注ピアノを聞きながら、16歳で母が亡くなった時に大泣きした看護婦さんを思い出しました。これこそ、残された家族と気持ちはひとつなのです。愛を体験した私は、迷わず陸上選手の道を辞め看護師になりました。愛の力は凄いです。「共感する力」が人に備わってます。それを頭が邪魔しています。看護師をしていた時に、亡くなった患者さんの家族と大泣きした私、後輩がそれを見ていて、患者さんの前で泣いていいんですね!と聞いてきました。当たり前、誰でも悲しい時は一緒に泣くの・・・と言った覚えがあります。感情に蓋をしてしまいこうあらねばばならぬと自分勝手に頭を作っている現代人です。これが世間・・・世俗は止めです。
昨日はある人の言動を注意してもらいました。自分がそういう事をやっていた事実を認めること、そしてそこからどうしていくか、チームワークよく仕事をしたいと話したようです。じっくり話した事はよかったと言ってました。ほっとしています。