昨日は、朝から2時間半の保育園のピンチヒッターではじまりました。毎日の大イベントは散歩です。大騒ぎをして準備して出かけましたが、朝の晴天は何処へ行ったのでしょうか?歩きはじめると雨になりやや強くなり、帰ろうかという事で、途中引きかえしました。こういう判断も、何かおこってからでは遅いのです。私が判断はしないです、現場に任せます。やや、欲求不満げな、子ども達、別室の滑り台で遊びました。

園長が帰宅して「○○君,のりちゃんと散歩に行きたかった~・」と言っていたようです。へえ・・・、そう思ってくれたんだとちょっと嬉しい気持ちでしたら、園長がのりちゃんと行きたいの?それとも散歩に行きたかったの?とろくな質問をしません(( ´艸`)。そうすると○○君は散歩と高らかに言ったようです。がっびー、、、ん、なんや私でなく散歩に行けなかったことか・・・。まあ、良いのです。

今朝は、朝一に市役所に行く用事のみ予定をしていたので、子どものこの、直な気持ちをそのまま大人が分かることが大事と考え散歩に行く事を決めました。即行動へ移すことですね。気持ちは表現していいよ、表現した気持ちは実現できる、我慢しなくていいことを体感してもらいたいという気持ちになりまいした。我々大人は、我慢すること、言えない事を自分で勝手に決めています。そういうふうに我慢することを言われながら育ったのです。小さなことですが、気持ち表し実現するのが人間です。大げさなようですが、今日、散歩に行きましょう・・・。