人生が有限であるので、無理したらいけないとか、特に我が愚弟2人は、姉にぼちぼちやってとか、無理するなとか・・・年を考えろというアドバイス(そんなものはいらない!)をくれます。いつも無視しています。周囲からも、そろそろゆっくりしたら・・・という言葉も聞きます。その言葉にまた感化されてしまうので、自分でもそうかなぁとも思いますが、まだまだやる!と反撃の気持ちになります。葛藤ですね(笑)。
有限の時、生きているならその先は死であるので、時間を考えると、答えはその中でやれることは決められますが、実は無限であると分かると、無限なのでどんどんいろいろな事をやっていける。こっちの方が元気がでます。今回も有限の時間を考えていて、こんなに長く不在にしていていいのかという迷い、罪悪感があったのですが、無限なら好きなこと気持ちのままに動く、その先はどんどんあるということで余裕まで感じます。
新しい企画(弁当屋)も中途半端にしていたことに気が付きました。ここは本腰を入れ、やって行こうと言う気になりました。食べる事は基本中の基本、生きていく事の大重要事項です。本音だと気が付きました。生きる事、元気で動けることの基本です。そのことの実現が目の前にあるのに、人任せでは元気がでるわけがありません。本屋で出会った本「なぜ、看板のない店に人が集まるのか」弁当屋はこれだ、と道が見えました。地域のつながり、人は大事にされることに価値を感じるということが書かれてあり、介護の仕事もそうです。ひとり、ひとりの存在を認めていくことです。まあ、何にでも全力を尽くすことです。それでいままでも来ていましたね(笑)。