早朝に、身体が衰弱しているとヘルパーから相談を受けていた方のところに訪問しました。結果、このままで生きることが嫌だということです。本人さんは「少し休みたい。」と言います。休むという意味をどうとらえるか・・・後で同居人からの話では過去に自殺未遂を何度かしているようです。自分は、ヘルパーはじめみんなが一緒にいること、一人ではない事を伝えました。
事態は切迫しています。自分のとった行動がいのか、悪いのか分かりませんが、最善を尽くすとは決めています。本人も家族もつらいでしょう・・。いのちは一人のものではないことよく分かります。そこを伝えていくしかありません。
夕方には東京で(通勤状態)いだきしん先生による「存在論」という講座に参加しました。ハイデッカーの存在と時間の哲学ベースです。折しも看護学の看取りの事例の本を読んでいてハイデッカーの文の引用がありました。難しいですが、あるという存在、現存在。。。自分のことも対象化してみているから多くの問題が起こっています。戦争もそうです。人と自分はひとつといういだきしん先生です。人の役に立つ人間は半端はしてられないのです。いのちの現場にいるからこそ、生きて向かう自分です。夜行バスで帰って仕事していますよ。強人、強靭、狂人・・・いろいろいでいいのです。役に立つ人であれば。