月に一度の盛岡での勉強です。東北で人間とはどう生きていくかと問います。白銀の世界を見ながら到着です。景色をみながら、人はいろいろがありながら生活しているのだなぁ・・と昔のことや親戚のことを考えながら来ました。喧嘩しながら親戚も付き合っているし、会社の人々も通じ合わずに辞めていく人・・・自分も含めて厄介な人間です。しかし、一人で生きていくことはできない人間です。自分の事も含めて人間理解に尽きます。
講座にて、いだきしん先生がある方の質問で「人を助けたことが、その後に管理になってしまう。」とお話し、真にと腑に落ちました。自分はこのことをずっとしていました。助けたんだからやってよ!、助けてこのざまはなんなの?という具合です。人をケアする人は陥入りやすいです。助けたので管理がはじまります。利用者さんが自分の所有物になってしまいます。ああああああああ!と言うほど、分かりました。反省ではなくこのことを分かるということが大事です。正直、自分の中では80%分かった感じです。言葉では「ケチ臭い」のです。大きな人間でないので、人のことを監視、管理してしまうのです。その人と関わって終わり、自分がやるだけやったので後は本人に任せる、そしてまた課題があればそれに対応していくことです。人は所有物ではありません。
全てに納得しました。自分が手出ししてないことには常におおらかですが、自分が動いてしまうと監視、管理してしいます。それで思い通りにいかないとストレス溜め、身体壊してしまっています。もう笑うよりありません。上から目線の監視ではなく、気にするということに変えていきます。子育ても、仕事も全部そうだったのです。ケチ臭い生き方を止める今です。