上記言葉を初めて知りました。昨日は医療的ケアの昼休みやビデオ学習の時間に「生き方、死に方を考えるフォーラム」にズームで参加しました(受講生に了解済み)。そこで柴田久美子さんという看取り士の講演がありました。このフォーラムはとても面白いのです。一般人から医者、哲学者、宗教家・・・いろいろな人が参加します。目から鱗のようなお話も多いです。

柴田さんのゆくりとした口調に、まずは驚きました。見取りとは死に行く人と家族を支えるという行為です。過去の自分の看取った人との瞬間を思い出す場面がたくさんありました。常にバタバタしていました。猛反省どころではありません。話は亡くなった瞬間からその人との関りが深い人との時間の始まりでした。自分なりには精一杯やってきましたが、が、がです。時間をゆっくりとることはありません。2時間3時間とかとおっしゃいました。終わり良ければ総て良しは痛感しています。

そういえば、母の葬式は村中の協力で家でしました。近所の人がみな手伝っての葬儀です。葬儀会社というものはありません。我が国は2025年問題、2030年は放置死の人は47万人となると聞きました。死を見捨てては先へは行けません。通り過ぎた一瞬の出来事にはできません。人が亡くなるった時は、最高のいのちの学びの場です。そういうことが無いので若い人が自殺をするのかも知れないです。深く考え次へ進みます。