介護保険で訪問介護のソフトの入力の訂正をしていたのですが、新しい「虐防・・・」という名前が出て来て、何だこれは?とソフトの会社に電話し、虐待防止策をとってない事業者の減算の単位という事を知りました。びっくりこんの量でした。担当の人と話してして、上司の人の名前を出し、こんなソフトは使いにくい・・と伝えてと言いうと「○○は先月亡くなりました。」とビックリしました。しかし、あーあ、やっぱり・・・という気持ちが直ぐに湧きました。以前から会う度に「こんな生活していたら死ぬよ!」何度言ったことでしょうか、暴飲暴食、ストレスの塊のように感じました。性格は憎めない人でした、だから私はずけずけと物を言っていたのです。介護のソフト会社ではこの人がいるから皆が仕事できたのか?なぁという存在のように思いました。
何だか、死ってなんだか???たぶん彼は50代か60代前半でしょう。身を亡ぼす生き方はしてはいけません。自分でのコントロール、たぶん難しかったのでしょう。人生決まったレールを生きて来た、人は産まれながらの運命があります。私はそうは生きたくない!本当の自分自身の人生を生きます。夕刻には魂の語りがあり高麗恵子さんの即興詩を聞きました。サブタイトルに「夢のまた夢の 夢にも見る事のなできなかった人生」とあります。まさに私の人生はそうです。自分を現し生きることです。高麗さんの詩、「死は別れではない、永遠を生きる・・」「いのちひとつ」という言葉が胸にじわりと染み込むように入っていきました。
人に寄り添うこと、寄り添ってもらってなければできません。愛情不足と人を非難しても愛情をかけてもらってなければできません。人類の長い歴史の中で繰り返して来たことです。今、私にできるのは、寄り添ってもらうそんな場を創っていくことですかね!今日は、保育園の調理の人が子どもの病気で休みます。ピンチヒッター、ホームラン打ってきます(笑)。