今生きていることは先祖の代表と考えることが多いです。会社の経営者になりたくて企業したわけではありません。看護師からはじめて、自分の末期がんの父を家に連れて帰りたかったという34年前の気持ちから在宅ケアへと考えはじめました。看護師になろうと決めたのは16歳の春、母の死の瞬間からでした。当時は祖父に反対されました。汚い仕事につかなくてもいいのに・・・と親戚から聞きました。直接に自分に言いませんでした。しかし、喜んでいることは分かりました。祖父は3人の子を病気や事故で先に亡くしています。父方の祖父は2人の子を戦争で亡くしました。父は末っ子9番目に産まれ跡取りになりました。戦争が運命を変えました。父は外に出たかったようですが、叶わぬ夢でした。
母の母も早死にです。きっとその上の人も早死にのようです。女は短命の家系ですが自分からは変わりました。自分の年は母の死んだ年からから26年も経ちました。出会わなければ死んでいたいのち、出会いが人生を変えました。偶然にカウンセリングの勉強をしょうと動いた33歳の頃あるカウンセラーからこのようなグループカウンセリングがあるよと紹介を受け、ふ~んと考えずに行った先が「いだき講座」なるものでした。全く意味はわかりませんでした。とにかくピアノを弾いて下さりなんの涙かわかりませんが、涙ばかり出ていた事だけ覚えています。そして、こうしちゃいられないという気持ちばかりが出てきていました。自分の生きていてやらなければいけない事なんだろうと考え続けています。今もです。
23年前にいだきしん先生の奥様がご病気でそれまで、ご家族で世話をしていたのですが、他の人に任せようと、当時、偶然にぷー太郎をしていた私に依頼がありました。もうびっくりするやら、真剣にやろうと決めましたが大学病院へ行っても原因不明、そうこうするうちに私が周囲の医療スタッフと関係が悪くなり環境が悪い中での療養は最悪、降りました。自分に否があります。人と仲良くできない性格です。自覚しています。それから特養に行ったり、看護学校へ行ったり、有料老人ホームの施設長したり・・・・まあ数々の仕事をしましたが、気持ちだけは純粋です。人助けをしていきたい、少しでも人が楽になったらいいと・・・高句麗伝説コンサートにて、矛盾も我慢もない世界を経験しています。誰のいのちも大事。動くことが愛です。人間成長に尽きます。バックは悪魔に引っ張られています。これからは未来が全目標です。未来にどうなるかです。