今朝の、NPO高麗代表の高麗恵子さんの書き込みを見て、ああ・・・この言葉ですね。と自然と納得しました。いろいろが起こり、どう考えていくといいか、答えが出ない毎日です。お金の事、人の事、仕事・・・、今やろうとしていることが果たして、世の為人の為になるのかどうか・・・、自分勝手であるのではないか?今までも、人から懇願され、やったことで上手く行った試はありませんが、また、同じ失敗するような・・・気持ちよく自分自身が前に出ません。
人は困っては自分の所にSOSをして来ます。SOSをするなというのではないのですが、そのこと自分で解決できないの?と言う気持ちと、私、使われている?という気持ちが湧きあがります。こうなるとどうしょうもなく、怨みです(笑)。人に使われる為に生きているのではないのです。人はずるいです、人の弱みをみて近づいて来て利用します。今も利用されている最中で、良く考えると自分の仕事とまるでリンク状態です。(大笑)。みな私のご利用者さまなのです(笑う)。ここは払拭する最大限の自分の課題です。今日から利用者さんと言う言葉を代えてお客さんと言う風に言いましょう(笑)
高麗恵子さんがよくおっしゃることは「ぶら下がっている。」自分も人をあてにし頼ることもあります。しかし、自分の足で立ち、自分で歩く、人にぶら下がって生きる事は人をも引きずってしまいます。人に使われる人の話を聞きましたが、自分はこれやりたいからするのではなく、選択しこちらが楽だからこれする・・・、自分ももしかしてそうかもしれません。内的環境が外的環境を作るとお聞きしていますので周りで起こっている事は自分の問題です。要は、はずせません。本日要の、仙台で開催されますいだきしんコンサートへ参加し、まずは頭を変えます。変わらないと先へいけません。それだけは自分のいのちで分かっていることです。