人として、会社の経営者として、もっと、もっと次元をこえなければいけないといつも考えています。努力することはもちろんですが、それだけでは、自分の枠に嵌ってグルグルするだけです。自分よりも秀でた人とあっていかなければ成長できないのは誰でも考える事です。良き先輩や指導者に会うと飛躍していきます。
昨日の京都コンサートホールでのいだきしんコンサートにて、それこそ、自分と相手(人)との真の関りを考えました。同じ状態であることがしあわせにつながっていくと分かりました。一緒の状態であることです。コンサートホールの一席に座っているだけで、もの凄く身体が楽なのです。手足の痛みもなく、一昨日は物も握れなかかったほどの手の痛みがなく、拍手さえできました。演奏しているいだきしん先生と繋がっている???確信はは出来ませんが、表現はそうなります。一緒に行った、要介護5の車いす全介助のツレも身体が楽になったと言います。
看護師時代に印象的な場面をいつも思い出します。癌の末期の女性から痛みが激しい時、あなたも〇で私も〇なのにどうして改善しないの?と話さた事を昨日は、この人の事を自分の身の内に感じていなかった、私は看護を一所懸命にしましたが、ひとつになっていなかったと分かりました。こう話して下さった患者さんは過去に私との関係で痛くない時があったのだと考えました。私自身、見る意識がなくそのままに感じていたのでしょうか・・・。いのちの言葉はいつまでもあり続けます。ありがたいことに、答えが見つかる場(コンサート)があります。そして、昨日は広く、広く、笑いたくなるほど広かったです。
不可能に向かう事を教えて頂いたので、コンサートにて大きな目標が見えました。村に偶然に待機児童の赤子の優真くんが来て村人みなで世話しています。優真君の笑顔で村人は皆元気になっています。全部自然の流れで、赤子も年よりも皆がそれぞれに役に立つ事をしています。現代社会はここを分断してしまっている、赤子も年よりもみなが共生する場、笑顔溢れる場を創ってみようと、それこそ村です。新しい村創りです。そんな目標が浮かび上がりました。生きている意味問い続けます。