みんさんもいろいろな思いの中の1月17日だったと思います。当時は関東で仕事をしていて、テレビの中継にて災害の大きさを知りました。こうしてはいられないと、病欠ということで休暇をとって神戸に単身で乗り込こみました(笑)。なんだかボランティアという言葉はここから始まったので、この時点ではありませんでした。
夜行バスで大阪に着いて、阪神電車途中まで乗って、芦屋?かどこからか、あらあら・・・大変な事になっている、大阪の町は普通でこの落差に驚きました。何をしていいか分からず、早朝の三宮にておばあさんに会いました。3階に住んでいるけど、水も出ないので、ここの近くに一軒だけやってるうどん屋さんに来た、あなたも喜徳な方そんな遠いとこから。。。まずは腹ごしらえでうどん屋に行きましょうと2人でうどん屋に行き結局奢っていただきました。神戸新聞のビルの傾きも見て、三宮がこうもなるのかと、俄然としました。
それから、何度もボランテアに現地に行きました。何処に行ったかあまり覚えていません。ただ看護師ということで皆さんには喜んでいただきました。南海トラフ地震は必ず来ます。YouTubeの消防士の画像で普通の水道水で3日間はもつと言っていたので、今3日ごとにペットボトルの水を代えている最中です。懐中電灯の電池の交換もしました。常に助ける側にいることです。