水俣病資料館へ行ってきました。丁度市内の小学校5年生の見学学習中とのこと、後は殆ど誰もいません。今さらですが、成程という気持ちと昭和40年代頃のことも思い出します。水俣のことは他人事ではないです。チッソという会社が我が田舎に来ていれば、同じことのようです。有機水銀を埋めた立た地に資料館等を作っていると言う事も知ります。私が居るここに居有機水銀あるということ、福島の原発の汚染した土を思います。臭い物には蓋をしろという方針をこの国はとるのです。全世界でおこっていた公害です。
展示物の中に、水銀を使ったアマルガムという物質のことがありました。写真には歯型が写っていますが、充填物としての詰め物の記載がありません。私は数年前にこのアマルガムの除去の処置をしてもらったのです。めったとない装置ですし、お金もいります。肝臓に有機水銀が溜まる話で、20歳のころの虫歯の治療にて歯医者がいれました。今は絶対にないです。詰め物要注意です。合点がいくことばかりでした。
そこに育った大きな樹があって、幹がうねりを上げているようでした。木も何かを感じているように思います。
阿蘇の中のホテルにて45年ぶりに会う人やなんやかや・・・の同窓会でした。33人中1人だけ亡くなっていますが、皆元気でそれぞれの道を歩んでいました。思う所はありますが、みんな寮生活でして、大笑いの看護学校時代でした。ちょっと一石投げ込んだ感じもありますが、これはこれで高齢化社会を生きるおのおのが考えたらいいでしょう。さてこれからお姫様の神社を参拝して帰路につきます。何処でも勉強になります。