自分の身の内は勝利という言葉になりました。悪い事はダメと知ってはいても、その事に対して目をつぶり、甘い自分がいたことを自覚します。反対にこんなに甘くてよく生きてこられたものです。人を許すとか、許さないとかではなく、自分がどう生きたいのかということを実感しました。
常にやったことを認めて、これからどうするかと考えていけばいいとスタッフには話しています。人間は成長します。むしろ成長しない人は人間ではありません。自分も常に今を越え、人間として生きることを考えています。人の為に働くという表現をしている自分が、この有様だった事を認めます。ですから、昨夜の嵐のような雷は、はっきりさせよと、邪と聖を分けたように感じました。時は来ました。
折しも、伊丹空港のナイフの恫喝や関電のワイロ事件があり、元は一緒のような気がします。そして他人事としてではなく、自分の中にそのような隙があることも自覚しました。水の流れか、風の流れか、雲の流れかここに居を構え、ここに居る人と働いています。流されたどり着いた人生です。みなが幸せであることが一番です。この社会では子供は生きていけない、いい社会を創りたい一心で向かいます。