11月最後の日の早朝、元のお客さん2人は、ほぼ同じ時刻に昇天されました。共通の接点はないようですが、とても不思議です。ひとりは毎日お見舞いに行っていた方です。とても可哀そうと言うか、人生の最後がこれでは、何のために生きて来たのか・・・、お顔も苦悶のままでした。私自身も悩みました、自分が考えた全てのことはしましたが、生きる事の苦悩からは無理でした。ある、宗教の熱心な信者さんで、私は宗教家ならもっと、悟りを開いたり、死ぬ間際は、良く死ねるというかそんな心境になるのではないかと考えていましたが、何かを信じるとは頼っている状態なので弱いから宗教なんだとあらためて考えました。宗教を持ってない人が強いというのではなく、信じて、何かを祈っても報われない人間の根源の何かがあるように感じます。信仰が強い人ほど縛られているようです。心のよりどころにはなるでしょうが、最後は信頼のおける人との繋がりと感じます。誰が一緒にいるかです。

過去の戦争は宗教戦争です。そして結局はお金がらみです。戦闘機一台の値段や軍事産業の値段・・・、何が大事なのでしょうか・・・。北の方の発言も気になります。日本に近い内にミサイルが来る可能性が高いですね。目の敵にされるのはなぜでしょうか・・・。みなで平和に暮らすことは現在人は無理なことでしょうか??死にそうな人がいれば走り、大丈夫だよ、いのちは繋がっているからと言っても聞き入れられない、自分が辛いから相手のことはどうでもいいのでしょうか、人間は強くは生きられない弱っちいい事を知ります。人間は強く美しく生きることを示していける自分になります。最低限、人に迷惑はかけられません。自分の穴の穴は自分で拭く!今はこう決めています。