高知市内から車で100キロもかかる所でした.その方のお母さんが住んでいるお家がありました。田んぼの中、裏山・・・古い古いお家でした。笑顔の写真がありました。知り合いの人が家の片付けや、私へのお土産を準備していたのです。自分の今の暮らしを話してくれます。娘さんも59歳で亡くなり、ご利用者さんは70歳で亡くなり今は一人ですが、愚痴話はありません。人が嫌がる話はしない方なのでしょう・・・よくぞ出会ったものです。100キロの距離です。知り合いの施設に入居したご縁でケアマネジメントしました。胃ろうからの食事で、お母さんは口から食べたかっただろうね・・・。とそれだけです。お母さんに「徳」があるから皆が良くしてくれると話しました。みんなそう言ってくれるとのことです。とってもしっかりしているお母さんです。介護サービスなし。段差だらけの家に住んでいます。いいなぁ~

知り合いと言っても先輩ですが、車で走っていてあれ?この地名年賀状にあったと○○中学校前で車を止めて電話に出たらめっけものと先輩に電話をしましたら、あら・・どこに居る、という事で直ぐ行くと先輩、訪問看護の制服姿で現れてくれました。自宅で末期状態のお母さんの傍で寝ていたら電話だった・・・と(笑)、在宅酸素し、持続点滴、毎日在宅医が往診のようです。それでも、毎日ALSの人工呼吸器付けている人の所へ訪問しているとの事です。お互いに90歳過ぎても働きましょうといい、大阪にいた時より明るくなった先輩に会えてうれしかったです。

折しもニュースにて安楽死の事が話題です。自分もヘルパーステーションやっています。サービスの在り方、上から目線のサービスでは嫌で、死にたくなる気持ち、~してあげる、ということは一番やってはいけません。一人の人間の死をもって、尊厳を考える機会にします。今、考えると対等にものを言う関係であるか、ケアが人として対等であるかです。どちらにとっても〇の関係。地球全体が〇となるように今日も生きていきます。