あわただしく、実家に帰省し、帰って来ました。叔母の家にいそうろうですが、叔母はママハハと言う存在で、小さなころ育ててもらったのです。隣の村に住んでいて、祖父と叔母と私の暮らしが3年ほど小学校に入学するまでありました。父を見て私がおじちゃんと言ったので連れて帰って来たという話も聞いています。母は3人の子どもと認知症の父方の祖母もいたからか・・・よく聞いていませんが、なんせ育ててもらったので、実家ということで大きな顔をしています。叔母の家にも実の娘が小学生の子供を3人連れて帰ってきていてキャンプ状態でいいなら帰ってておいでと言われたのです。
お墓まいりと、山のすそ野にあった実家、かんのんの本家本元に行くことが目的でした。誰も住んでない荒れ野でしたが、木がすくすくと伸びてジャングルでしたが気持ちいい所です。姪の子3人と家族で探検しました。楽しかったです。誰もいない、手入れがされてない土地はこうなるのか・・・面白い木がありました。種類が違う木3本がからみあって育っていたのです。なんか仲いいなぁ~という感じを受けました。私が小学校4年生まで住んでいた場所です。
近くの王子神社に正月準備で村の人がきており、懐かしい話をし、傍の石灯籠を見るとなんと日露戦争「軍曹、山本利右エ門」というおじいちゃんの名前がありました。やはり偉い人だったのです。私が生まれて1か月後に亡くなりました。
1月1日は持ち作りをしました。機械が餅をつくので、丸める係です。1日仕事でした。よろよろの叔父も叔母もこれで最後といいつつ別れかれましたが・・・しぶといでしょう(笑)波の根性ではない人々で、その血は私にも継がれていますから・・・ね(笑)。