npoいのち主催の「死について」のいだきしん先生の講義がありました。この度6月に出来ます、施設は看取りをしたいというスタッフの趣旨の元に運営します。死ということをキチンと理解をしなければならない事、いえ生きている人間にとっては大事なことです。

死の定義とかではなく、死をどうとらえるか?死を考えた時に生きること考えます。旦那さんが末期状態の人が参加され、真正面に死について対話されていました。人と人との関係性の中で死の迎え方が違うことがはっきりわかりました。愛よりありません。若くても突然に死ぬとおっしゃられ、どっきりとします。真面目にいきてもだめ、自分勝手に生きた人が長生きするという話は腑に落ちます。

生まれて死ぬことは人の日常です。医療の手から離れた時に介護、死をわれわれの手に・・・と考えます。年末に亡くなられた人、病院で壮絶な死でした。人と分かり合えなかった、病院の中で一人として心通じた人はいなかったと分かりました。二度としては成らない事です。自分は毎日お見舞いに行きました。それは義務感、引け目からです。自分が後悔したくないという気持ちからです。後悔しています。常に相手の周囲の事を責めていました。なんでこんな最後になってしまったのか???と、本人の思うような最後ではなかったです。過去を責めてもしかたがありません。今、ここでを、この瞬間を大事にしようと決めました。ここにいるのは相手と自分です。愛ある関係であるか、それだけ・・・。