昨日は安倍さんの1回忌でした。何気に見たテレビは陰謀説を否定した内容でした。知り合いはスナイパーがいると言っていましたが、私はあの容疑者が他の人を巻き込んでいることはないんじゃない?。良いドキュメンタリーでした。菅前総理が最後に見た顔が安心してような顔だったという表現に驚きましたが、事件が起きた時の医療関係者の動き、5時間に及ぶ心臓マッサージ、そして天理市の市長の動き最後に救急車に最敬礼した祈り・・・涙が流れました。安倍さんは皆が必死にやってくれたことのむしろ喜びもあったのではないかと、勝手に思っています。安倍さんの「妖怪の孫」という映画を見ました。愛なき人生・・・という感じを受けました。この安倍さんは最後に自分の命を救おうという人の「真の愛」を感じたのではないかと、私は昨日、いだきしん先生の死についての講座中に分かりました。死に顔の綺麗な人とそうでもない人は確かにいます。多分、菅さんの表現は当たっていると思います。人は誰によって支えられているかわかりません。

生きている事も、死んでいる事も同じといだきしん先生はおっしゃいました。まだ自分はしっくりはしませんが、こう考えると、この安倍さんの安心した顔だったということもよくわかります。医療関係者の一人として、いのちを救う現場に立たされた時の自分の最大限の動き、勝手に身体が動きます。見ている自分ではないのです。ど真ん中で、頭も体もふる回転です。

七夕コンサートにて「深淵なる愛」と言う言葉のメッセージは初めから愛はあるということだよ、と教えて頂きました。そのことはよく分かります。はじめから愛があるので今は亡き、いだきしん先生の奥様の傍にいさせてもらったのです。なければ無理なことです。愛の実現の時です。巡りは深いです。物事をよくわかるよう、そしてそのことを活かすよう動く時です。大きな学びの盛岡でした。