知り合いに誘われて、数年前にご一緒した供養の会でした。150年前のフランスの将校と日本の土佐藩の侍の小競り合いが、何人もの若い人のいのち(日本人は切腹)が亡くなりました。開国をし、諸外国との付き合い、言葉も通じず、明治維新の動乱のさなかです。主催者の一人のコメントで、外国の人は切腹の様をみて日本人の強さを知ったのでその後の手出しができなかったのではないか・・・という、こういう先祖のお陰で今があることを改めて感じ入ります。
本当に日本人であることの誇りを覚えます。現代人はどこにそれを忘れて生きているのでしょうか。小競り合いの手を出したのは土佐藩の侍ということになっていて、フランス政府は怒り、其の罰といって切腹となりました。切腹する20人の抽選はくじびきで、くじで切腹が決まった人のほうが晴れやかで、くじに落ちた人の落ち込みがひどかったと言っていました。11人が切腹した時にフランス人がもうやめてくれと中止を申し出て、残った人は罪人あつかいで高知の四万十に流刑となり、そこでは村の人に温かくしてもらったようです。今でも村の人は墓守を大事に続けているようです。
数年前に境の切腹現場の妙国寺に行きました。清々しい空間でした。友人にそのことを伝えると、きっと切腹した人達の怨みとかそういう気持ちが一切なかったから残ってないのよ~と話してくれました。切腹した人達のお墓は道を挟んでの幼稚園の園内です。園庭で子ども達が遊んでいます。きっと偶然にお寺が幼稚園を作ったとは思いますが、お墓の中の若い青年たちは、子どもの様子を毎日見続けているのでしょうね。生ききり死ぬという事は未来の人にとっても大事です。精一杯いきていきます。