我々の仕事はなんだろうか???と朝からショックを受けました。ニュースにて、40年奥さんを一人で介護した82歳の旦那さんが奥様に手をかけた・・・裁判の事です。判決は近日中に出ます。まずは自分がケアマネだったらどう動くか考えていました。他人事ではありませんから・・・。。最初はこの人にはケアマネ付いていなかった?という感じをうけたのですが、裁判にて担当ケアマネの言葉を断片的に報道として聞いたのですが「介護を自分でやらなければいけないと思っていた。所有物化していた。」という言葉に啞然としています。前後の文面はあるとは思いたいです。批判、判断のみに聞こえました。

大きな声で言いますが、我々の仕事はご利用者さんと家族に寄り添うことです。外から見て、判断、批判するのが仕事ではないはずです。殺人事件ですから自分勝手なのはそうです。所有物というよりも、以前聞いた話は、人殺しは自分が殺されるから殺すという心理と聞きました。介護の限界を自覚したのだろうと思います。自分が死ぬか相手が死ぬかと言う事です。切羽詰まった人に、身近なケアマネが外から見ているように所有物化している・・・という表現に愕然です。もっと言葉があったかもしれませんけど・・・報道はそこしか流しませんということも分かって書いています。

この報道がある前に自分がケアマネだったら、突入してこの旦那さんと仲良くなる(がんこ爺さんのようなので無理かもしれませんが、断られても体当たりします。過去にはドタキャンされています。来るな!と経験は豊富です)しかし、こういう頑固じじいこそ人情にもろいのです。人の情でいくのです。辛いとかケアマネに言わなかった、いえ言えなかったのです。私がケアマネでも同じことが起こっていたかもしれませんがね。しかし、法廷で所有物と言う表現はしません。大事、大事に36歳から40年間奥さんを介護したのです。旦那さんがいなければ40年生きてこれなかったと考えます。旦那さんの「介護を40年やることは普通のことだよ、それが最後に殺してしまった。」という言葉の深さに現在社会はどう答えますか?これと同じ言葉を言った「えっ、これ普通じゃないの?」とご利用者さんの息子がいました。凄さを自覚してほしいです。やっていることが陣地を超えているそこから人の手にゆだねていくことのスタートです。亡くなった照子さんという人、きっと感謝していると思います。この旦那さんで良かったのです。誰ができます40年間。ケアマネもど真ん中に居る。これがケアマネの仕事です。生きてる証です。